2026/06/01
現場が前提を壊してくる
自分が正しいと思っていたことが、
現場の中で、何度も根底から覆される。
思い描いた通りにはいかない現実を、
幾度となく突きつけられる。
だからこそ、
このズレは何なのか。
それはなぜ起きているのか。
常に考え続けてきました。
そこで初めて、
“やること”ではなく、
“やらないこと”が見えてくる。
私が、「何でも扱う」というスタンスを取らない理由も
感情論ではありません。
投資家様が保有されている物件の中には、
転売益を前提として価格設定がなされているケースもあります。
しかし実際には、それ以上に、
低金利・フルローン前提で取得された結果、
残債との兼ね合いから価格が合いづらくなっている
ケースを多く見てきました。
売却時に、
残債を下回らないよう価格を設定しようとすると、
どうしても価格が高くなってしまう。
そのため、
次に購入される方の収益性や融資条件を踏まえると、
どうしても融資適合性や価格整合性が取りづらくなってしまう。
場合によっては、仮に成約しても、
“買主様に無理をさせる構造”になってしまう。
高値で取得してしまえば、言わずもがな
その後の運営が苦しくなる。
出口も弱くなる。
そしてそれは、誰かが苦しむ取引につながってしまう。
だからこそ私は、「売れるか」ではなく、
「次の方にとって、本当に成立するか」
を大切にしています。
また、ここ2〜3年ほどの間で、
「良い物件のはずなのに、なぜか融資が通らない」
という場面が、立て続けに起きるようになりました。
年収や自己資金など、
一定の条件を満たしている高属性の個人投資家様であれば、
問題なく進むと思っていた案件でも、
想像していなかった融資否認が重なることがあったのです。
これは偶然ではない。
そう感じた私は、
金融機関へ直接、相談してみることにしました。
物件自体は悪くないはずだったからです。
すると、
ある金融機関の支店長から、
「自己資金を2割ほど入れられる優良法人様へお声がけしてみます」
と、ご協力をいただいたことがあります。
そして他の複数の金融機関でも、
個人投資家を前提としていないような融資姿勢に触れる場面がありました。
その時、私は初めて、
“求められている買主像”そのものが違うという現実を、
目の当たりにしたのです。
“個人の努力や熱意だけでは越えにくい構造変化”が、
すでに静かに切り替わっていた現実を受け入れざるを得ませんでした。
自分が正しいと思っていた前提が、
現場の中で少しずつ修正されていく。
もちろん、
これは個人投資家様を否定したいわけではありません。
実際に、真剣に事業として向き合われている方は、
この構造変化の中でも、
むしろ強さを発揮されているように感じます。
ただ、少なくとも現場で感じるのは、
「一定の属性があれば成立する」という時代から、
“この事業にどう向き合うか”まで問われる時代へ、
確実に移り始めているということです。
ある意味では、この事業の“本質”に、
少しずつ戻り始めている時代なのかもしれません。
また私は、
融資適合性の低い物件を扱わないという判断もしています。
それは、厳しく選別したいからではありません。
現場で向き合ってきた中で、
どれだけ立地が良くても、建物が良くても、
空室割合が高い物件ほど、
金融機関の評価が極めて厳しくなる現実を、
何度も見てきたからです。
融資が成立しなければ、取引は成立しません。
買主様は、多くの時間と労力をかけたにもかかわらず、
融資否認という結果になる。
売主様もまた、
期待を持って進めていた取引が白紙になる。
結果として、誰かを疲弊させる取引になってしまう。
だからこそ私は、「売れるか」ではなく、
「最後まで成立するか」を見ています。
また、融資適合性という観点では、
エリアについても同じです。
今、仮に満室だったとしても、
その状態がこれから先も維持できるのか。
人口動態、賃貸需要、地域の流れ――。
その物件が、
数年後も無理なく事業として成立している姿を想像できるのか。
それは、慎重だからではありません。
“買えた”のに、
その後、空室が増え、出口にも苦しむ。
そんな場面を現場で見てきたからです。
できる限り、そうした取引を減らしたい。
その想いが、
私の「やらない」という判断につながっています。
ただ、ここで一つ、
誤解のないようにお伝えしたいことがあります。
私は、単純に
「融資がつく物件=良い物件」、
「融資がつかない物件=悪い物件」
だとは考えていません。
実際には、銀行が融資をしなくても、
事業として十分に成立する物件もあります。
ただ、日本の収益不動産市場では、
融資が成立しなければ、
取引そのものが成立しないケースが多いのも現実です。
銀行には銀行の評価軸があります。
その上で、私は仲介として、
「最後まで成立するか」という視点を大切にしています。
違和感が解像度を上げていく
それは、物件に対する銀行の評価だったり、
今の市場において、
私たちがターゲットとすべき買主層の変化だったり。
物件の融資適合性だったり。
エリアの選定だったり――。
小さな違和感を見過ごさず、
何度も問い直して、
自分なりの答えを見つけ出す。
「条件が揃っているはずなのに、
なぜ成立しないのか。」
なぜ、以前は満室だったのに、
今は空室が増えてしまっているのか。
そして、その空室は、
本当に改善できるものなのか。
何が違うのか。
何か見落としていないか。
そのたびに、
自分の前提そのものを問い直さざるを得ませんでした。
仮説を立てる。
検証する。
そして、もう一度考える。
その繰り返しです。
そうして初めて、
「これは違う」という感覚が、
自分の中で少しずつ輪郭を持ち始める。
そして、
“やること”より先に、
“やらないこと”が明確になっていく。
それは制限ではなく、
自分自身の軸になっていくものなのだと思います。
私は、頭の中だけで答えを出そうとはしません。
実際に動いてみる。
現場を見る。
違和感と向き合う。
そして、もう一度考え直す。
市場も、人の心も、街も、常に動き続けています。
だから私は、
一度答えを出して終わりではなく、
今もなお、自分の考えをアップデートし続けています。
その中で少しずつ、
「これはやらない」
という境界線が、自分の中に育っていく。
私は、
現場に答えがある。
そう信じています。
不安や焦りの中でも、
自分が納得できる選択を重ねていくこと。
遠回りに見えて、
結局、それが一番ブレない方法なのだと、
私は感じています。
けれど現実には、
今、多くの人の思考は
「何を足すか」のほうへ傾きすぎているように思うのです。
不安や焦りの中で、どう自分の軸を守るのか
気づかないうちに、
私たちはいつも、
何かに不安や焦りを感じながら生きています。
将来への漠然とした不安。
「今のままでいいのだろうか」という感覚。
周囲と比べてしまう気持ち。
誰かの成功。
誰かの暮らしぶり。
あるいは、
何気ない会話の中で感じる焦り。
気づけば、
自分だけが置いていかれているような感覚になることもあります。
だからこそ人は、
何かを“足そう”とし始めます。
もっと収入を。
もっと結果を。
もっと安心を。
もっと評価を。
もっと自由を。
もちろん、
より良く生きたいと思うこと自体が悪いわけではありません。
前に進もうとすること。
安心して生きたいと思うこと。
それ自体は、とても自然なことだと思います。
けれど――
不安や焦りと結びついた時、
人は、本来の目的を見失ってしまいます。
本当は安心したかっただけなのに、
気づけば、余裕を失い、
追い求めることばかりになっていた。
本当は大切なものを守りたかっただけなのに、
いつの間にか、一番守りたかったものを失っていた。
そして、私は思うのです。
「何をやるか」以上に、
「何をやらないか」を見つめることのほうが、
本来の目的からブレずに進むことにつながるのではないか。
なぜ、それをやらないのか。
なぜ、それだけは違うと感じるのか。
その理由を、自分の中でちゃんと見つめていく。
それは、
自分自身を納得させるためのプロセスなのだと思います。
そして私は、
現場で何度も違和感と向き合う中で、
自分が正しいと思っていた前提を、
少しずつ修正してきました。
人は誰でも、
これまで積み上げてきた経験や考えを、
正しいと思いたくなるものだと思います。
一度信じたものを、
変えることは簡単ではありません。
けれど私自身は、
現場がそれを許してくれませんでした。
目の前の現実と前提とのズレ。
その間で、
何度も問い直し、
何度も考え続ける。
そうすることによって、
少しずつ、
物事の“解像度”が上がっていく。
自分で納得して選んだものは、
簡単にはブレません。
そしてその積み重ねが、
少しずつ、“自分の軸”になっていく。
そう思っています。