第1話 唯一の処方箋

2025/06/12

顔に大火傷を負った私──── 唯一の処方箋は。。

 

私がまだ幼かった頃のことです。
ある日、ひどくお腹を空かせていた私のために、母がラーメンを作ってくれていました。
「恵美ちゃん、できたよ」という声が聞こえて、私は嬉しくなって勢いよく母のもとへ走っていきました。

そのとき──
ちょうど母が、小手鍋に入ったラーメンをリビングへ運んでいる最中でした。
勢いよく走ってきた私と母が衝突し、ラーメンの熱い汁が私の顔にかかってしまったのです。

火傷は想像以上にひどく、顔には大きな傷が残りました。
その後、通っていた幼稚園で男の子たちにからかわれ、心ない言葉を投げかけられたことで、私は心の深くまで傷つきました。

けれど、そこからの私は、本当に多くの愛に包まれていたのです。

母は、必死に治療法を探し、祖母にどの病院が良いかを相談しました。
祖母がすすめてくれた病院に行き、処方された薬がよく効いたのでしょう、火傷の痕はみるみるうちに消えていきました。

幼稚園の先生も、私のいないところでクラスのみんなに話をしてくれていたようです。
私はその場にいなかったので内容は分かりませんが、きっと先生なりに、子どもたちに大切なことを伝えてくれたのだと思います。
その日以降、誰ひとりとして私のことをからかう子はいなくなりました。

こうして私は、母や祖母、幼稚園の先生、そして病院の先生──
たくさんの人たちの愛と配慮に支えられて、心と体の傷を癒やしていくことができました。

小さな女の子にとって、顔に大きな火傷を負うことは、あまりに大きな出来事でした。
自分の顔を見るたびに心が痛み、それをからかわれた時の絶望的な思いが小さな胸に刻み込まれてしまったのです。
けれど、そんな私を無条件に信じ、愛し、寄り添ってくれた人たちがいたからこそ、私は乗り越えられたのです。

この出来事を通して私は、
「苦しんでいるときにそばにいてくれる“愛”こそが、人の心を救う」
ということを、人生の最初のステージで学びました。

今も私の中には、そのときの記憶が、温かく息づいています。
それは私が“誰かの痛みに気づける人間でありたい”と願う理由であり、
今の仕事や生き方のベースにも、確かに根を下ろしています。

author

執筆者

高木 恵美

複数の業界で営業職を経験し、今は一棟収益マンションの仲介業を全国で行っています。
営業としての土台を築いたのは、リクルートでの4年間。厳しくも濃密な経験が、私の原点です。
感性を大切にしながら、物件の背景や売主様・買い主様の想いに寄り添い、同時に、数字や収支の分析など、専門性もしっかりと持ち合わせた“両輪”の姿勢で、誠実な取引を心がけています。